History-富士急スケート部の歴史

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第一期黄金時代

富士急行スケート部は昭和43年の春、長久保忠雄監督、長田照正選手の二人で発足した。富士急ハイランド・富士五湖国際スケートセンターをホームリンクにするスケート部を作ることで、スケート界の底辺を拡大する一助となればという考えからだった。初年度、全日本実業団競技会3000メートルで長田が優勝し、好スタートを切った。

49年、出嶋新監督が誕生。その後、中村範一など、全日本の大会で10位以内に入る選手がそろっていった。団体でも全日本実業団で昭和51、55、56年に男子部が優勝し、女子部も昭和52年に初優勝を成し遂げた。

   
昭和43年(1968)年度
  • 富士急行スケート部、長久保忠雄監督、長田照正選手の2名で発足
  • 長田照正、全日本実業団スピードスケート競技会3000メートル優勝
昭和45年(1970)年度
  • 出嶋民雄が入部
  • 出嶋民雄、ISUスプリント日本代表に
  • 出嶋民雄、全日本スピードスケート選手権大会500メートル優勝
  • 長田照正、全日本実業団スピードスケート競技会5000メートル優勝
昭和46年(1971)年度
  • 長田照正、出嶋民雄、関村厚志、小林よし子、天野光人(ホッケー)、樋口照樹(フィギュア)が国民体育大会冬季大会へ
昭和47年(1972)年度
  • 小林茂樹、井出幸子が入部
  • 小林茂樹、全日本選抜スピードスケート選手権大会5000メートル優勝
  • 小林茂樹、世界スピードスケート選手権大会総合16位
  • 出嶋民雄、全日本実業団スピードスケート競技会500メートル優勝
  • 長田照正、全日本実業団スピードスケート競技会3000メートル優勝
昭和48年(1973)年度
  • 出嶋民雄、全日本実業団スピードスケート競技会500メートル優勝
  • 長田照正、全日本スピードスケート選手権大会(二部)総合優勝
昭和49年(1974)年度
  • 長久保監督から出嶋監督へバトンタッチ
  • 河本健二、合路秀樹が入部
  • 小林茂樹、世界スピードスケート選手権大会日本代表に
  • 長田照正、国民体育大会冬季大会5000メートル優勝
昭和50年(1975)年度
  • 今村恵美子が入部
  • 男子団体、全日本実業団スピードスケート競技会総合優勝
昭和51年(1976)年度
  • 牛田武士、中村範一、北本信子が入部
  • 中村範一、全日本スピードスケート選手権大会(二部)総合優勝
  • 北本信子、全日本実業団スピードスケート選手権大会500メートル、1000メートル優勝
  • 女子団体、全日本実業団スピードスケート競技会総合優勝
昭和52年(1977)年度
  • 長田照正、コーチ就任
  • 中村範一、全日本スピードスケート選手権大会1500メートル優勝、総合優勝
  • 中村範一、国民体育大会冬季大会10000メートル優勝
  • 北本信子、全日本実業団スピードスケート競技会500メートル、1000メートル優勝
昭和53年(1978)年度
  • 相沢英一が入部
昭和54年(1979)年度
  • 脇田貴美子が入部
  • 中村範一、全日本実業団スピードスケート競技会1500メートル、3000メートル優勝
昭和55年(1980)年度
  • 羽田雅樹、吉本正秀、江藤進が入部
  • 中村範一、全日本スプリントスピードスケート選手権大会1000メートル優勝
  • 相沢英一、全日本実業団スピードスケート競技会3000メートル優勝
  • 男子団体、全日本実業団スピードスケート競技会総合優勝
昭和56年(1981)年度
  • 出嶋監督から長田監督へバトンタッチ
  • 中村範一、全日本実業団スピードスケート競技会500メートル、1500メートル優勝
昭和57年(1982)年度
  • 中村範一、浅間選抜スピードスケート選手権大会1000メートル優勝
  

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